子育て

満理子が元気な頃は、私が子供達と接するのは遊ぶ時だけだったのです。
満理子が入院して、初めてまじめに子供達と接触しなければならなくなったのです。(それほど大袈裟な事だったのです)

発病当時、長女は中学1年生の2学期、長男は小学校5年生でした。
長女は一番多感で不安定な時だったのです。
私が病院で寝泊まりしていたので子供達は満理子の実家に預けました。
1週間ほどそこから学校に通い、生活をしていたのですが、長女が祖母とケンカをしてしまったのです。
呼び出された私が飛んでいくと、長女は泣きながらもう荷物をまとめて出て行くところでした。何とかなだめてその日は泊まる事にしました。
二人で話し合って、次の日に家に帰って、それからは私と子供達だけで生活をする事にしました。
それから、我が家の積み木崩しがはじまったのです。

その頃の私の生活パターンは病院で寝泊まりをしていて(約半年間)、朝6時に家に帰り朝食を作って7時半には病院に戻っていました。
子供達だけで朝食を摂り、戸締まりをして学校へ行っていたのです。
ある時、午前10時頃に用事があって家に帰ると長女がベッドに寝ていたのです。 その時は体調が悪いということで終わったのですが、3学期になるとほとんど学校へは行かなくなっていました。 その頃は家に篭っていて不登校だけでした。

中学2年生になると気分も変わったせいか1学期、2学期は休みがちでしたが、まじめに勉強と部活に励んでいましたが3学期になるとまた行かなくなったのです。 それを責めて怒ったりするとヒステリックになり、部屋で暴れたりする事もしばしばでした。
先生に相談すると、こういう時はそっとしておくのがよいと言われたのですが、そっとしておいても何の解決にもなりません。
結局学校は何もしてくれず、関わらないようにしていたのです。
救いは、娘が私に反感を持っているのではないようなので話し合いをする機会はありました。 娘が学校を休んでいる時は私も仕事を休んで病院へ行く時以外はできるだけ娘のそばにいるようにしました。
不登校は直らず、悪い友達との付き合いも始まり、夜中に出て行く事もありました。1度、警察の世話になった事もあります。
その頃は、私はもう怒ったり説教する事はしませんでした。 話し合う機会は結構あったので、ただ、いろんな話を聞いて何を考えているのか、どうしたいのか、また、おとうさんはこう思っているという会話をできるだけするようにしていました。

3年生になって相変わらず不安定ですが高校を目指して何とか普通に学校へ行くようになりました。 比較的成績はよかったので県立の進学校を目指していたのですが、結局受験に失敗して、私学の高校に進学しました。
そこは校則が厳しく、見た目が派手な娘はすぐに目をつけられ、いつも指導を受けていたようです。
何とか1年生を終えたのですが、高校を辞めたいと言い出しました。
じっくり話し合った結果、娘の今後の計画と学校への言い分を聞いて納得できる部分がいくつかあったので好きなようにさせることにしました。
結局、その高校を退学し、本人の希望に添って通信制高校に転入しました。 普段は薬局でアルバイトをして、自宅学習でレポートを提出し、年に2回集中講座を受ける生活になりました。

今は、生活も落ち着き、性格も少し丸くなり母親の面倒も結構見てくれます。
結果的に娘のわがままでいろんな経験を本人も私もしたのですが2人にとって、とてもよい経験をしたと思います。
その経験を娘が今後に生かしてくれたらと思うのです。
参考のために、当時の心境を娘に聞いてみたのですが、なぜそうなったのか、どうしてあんなことをしたのかほとんど覚えていないそうです。

長男は私と娘の葛藤をいつも側で見ていたので両方の立場が分かっていたようです。
今、高校2年生ですが彼もそれらの中でよい経験をして、できるだけ親に迷惑をかけないでやっています。

おかげさまで、姉弟は仲がよく、いつも母親の周りで家族皆が明るい生活をするようになりました。
平性17年のフジテレビの取材で本人の証言があります。

平成12年5月

 

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