娘が結婚して

平成24年6月14日

今年の4月に娘が結婚しました。 二人っきりでグアムで挙式し、入籍したのです。 披露宴をしていなかったので、昨日、満理子の親戚を招いて披露パーティーをしました。

 娘の報告はいつも唐突でした。高校卒業直後に「お父さん、クルマを買っちゃった」ってシビックに乗って帰ってきました。今回の結婚も、3年前に突然「お父さん結婚するから」から始まり、その数週間後には「アパートを借りたから、彼と一緒に住むので家を出るよ」、この4月には「今、籍を入れたからね」と唐突な電話。グアムの結婚式のことは、ずいぶん前に聴いてましたが、私たち夫婦は参列するわけではないので、どうでもいいことなんです。
 平成6年に満理子がクモ膜下出血を発症したときは娘が中1、息子が小5でした。それから、両親不在の異常生活の中、二人とも自分のことは自分で考え決定する習慣がついたのでしょう。ただ、娘は多感な年頃で、女の子のことを分からない私はどうしていいかわからず、ずいぶん不憫な想いをさせてしまいました。その頃のことを思い出すと、今でも辛くなります。披露宴をしてスピーチをすることになったら号泣してたかもしれません。やらなくてよかった・・・
 学生時代はかなり荒れた時期もありましたが、大きくは曲がらず、いろんな経験をしたこともあって、場面の状況把握や判断、決断は優れているように思います。自立心も旺盛です。お蔭様で、そんな娘をもらってくれる優しい男がいたことに感謝です。二人の結婚報告を兼ねて、満理子の親戚を招いてパーティーを開きました。皆さんはずっと私たち家族のことを心配し、見守り、何かにつけて助けてくれました。私は大阪生まれでこちらには身寄りがないために本当に助かりました。
大阪の従兄弟から 食べてからの撮影
我が家で式のおもしろビデオ鑑賞
  
 息子はすでに結婚していて昨年には孫を授かり、家も建てました。娘もこの度結婚し、今年中には家が建ちます。子どもたちは完全に巣立ち、親の役目は完了です。満理子が発症してから、子供たちを曲りなりに育て、そして満理子を守るために色んな知識を得、介護技術も覚え、そして障害者支援の勉強もしました。しかし、重度の高次脳機能障害を持つ満理子は普通の高齢者施設では受け入れられず、将来の不安を持っていて、安心して満理子が生活できる環境は自分でつくるしかないと、確信していました。どんな形であれ施設運営を目標に10年以上前から福祉用具を集めたり、制度や立地調査もしていたんです。子供たちが巣立ったことで、これからは私たち夫婦の将来ために、1年ほど前からある計画を実行するために、調査、研究してこれしかないという確信を持ちました。必ず計画を実行して満理子だけではなく、仲間のためにも夢を実現させます。 

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