感  謝
〜思い出に浸る〜

平成17年7月24日
 フジテレビのスーパーニュースに取り上げられて大きな反響がありました。 そして、フジテレビの計らいで思いがけず、満理子は高校時代の恩師に対面することもできたのです。 その時、テレビの力はすごいと思ったのでした。
 ある日、その収録でご協力いただいた恩師のY先生から連絡があり、満理子の後輩が満理子のために何かしたくて千羽鶴を進呈したいとの申し出がありました。 びっくりしましたが、喜んでお受けするとご返事しました。
 私自身、この年齢になっても学生時代の思い出は大切なものであり、大阪大冒険にも書いたように、そのころの友人に会うと一瞬にして学生時代に戻れます。 私の場合男子校であったため、後輩が先輩のために千羽鶴を折るという発想は思いつかず、そのために驚いたのです。 まして、このドライな時代にそのような発想を持つ学生の居る学校は珍しく感じたのでした。
 
 満理子は重度の高次脳機能障害がありますが、やはり母校に対する思い入れは強く、たまに自分自身が学生になり、今日は三つ編みにして学校へ行くとか、昨日なんとか先生と会ったとか、よく学校の話をしていました。

 先生から申し出があった日から2ヶ月くらい経ったある日、先生から千羽鶴が完成したので持っていきたいとの連絡がありました。
 本当に作ってくれてたのです。(疑っていたわけじゃないのですが、現実となったので改めてびっくりです) こちらの都合を聞き入れてくださり、7月24日の日曜日に届けていただけるようお願いしました。

 7月28日(日)午後1時に、先生から電話があり、我が家への道順をお教えしました。 10分後に到着。 先生のほか、数人のお客さんが見えました。
 挨拶と自己紹介を交わしました。 千羽鶴を折ってくれた二人の現役中3生と引率の先生、そして満理子の高校3年生の時の同級生も来てくれました。 中3生は満理子にとって懐かしい制服で来られました。
 早速、満理子とご対面! 制服と同級生の顔を見て、懐かしさで満面の笑みです。 そこで、お二人の中学生から千羽鶴の贈呈されました。 最近は茶髪で短いスカートにピアスの中学生を見慣れている私には、山脇学園の中学生の姿はとても新鮮に感じました。 伝統を重んじ、山となでしこを目指した教育を感じ取れました。 満理子もそうだったんでしょうか? 今の満理子からは想像ができません。 満理子は、とてもうれしそうに後輩(孫のような歳の差)から千羽鶴をうけとりました。 千羽鶴のほかに彼女たちが書いた手紙と校歌の入ったテープ、校歌の歌詞を書いた色紙もいただきました。
 突然、校歌を覚えてる? それから、みんなで校歌斉唱が始まりました。 満理子も一緒に口ずさんでいました。 唇を見ていると、しっかりと覚えていたのです。 
 その後は、たっぷりと学校の行事のこと、旅行へ行ったときのことなどの思い出話や今の学校の状況などをいっぱい話しあっていました。 満理子は後遺症のせいで、短期記憶は苦手ですが、古いことはしっかり覚えています。 時として先生や同級生の方が忘れていることも覚えていることも多かったです。 満理子は学生時代は茨城の田舎町から赤坂まで毎日電車で遠路はるばる通っていたため、それだけに思いが深かったと思います。
 
千羽鶴が渡される 校歌斉唱
千羽鶴が渡される 校歌斉唱
思い出話に花が咲く
思い出話に花が咲く 贈呈品一式  旅行に行ったときの日記と写真

 同級生と話し合っている間は、きっと、満理子は高校生になっていたんだと思います。 そんな楽しい時間もあっという間に過ぎていき、先生ご一行が帰られる時間になりました。 次回は同窓会かクラス会でお会いすることを約束し、お別れしました。
 
 満理子の高次脳機能障害は脳へ多くの刺激を与えることによって活性化し、回復に向かいます。 最近はNPOに参加して、たくさんの方と接する機会をもち、ワンランク良くなっているところへ、今回の皆さんの来訪でした。 これは、満理子にとって大きな刺激になり薬になったと思います。 先生方や後輩の方たち、同級生の方たちにはすばらしいひと時を作っていただき本当に感謝する次第です。 また、今回の経験で現役の中学生の方たちが何かを感じていただければ幸いです。
 退院当時はろくにしゃべることもできなかった満理子がここまで良くなったのは、今回来てくださった方たちを含め、多くの方たちが満理子のために応援・協力してくださったおかげです。
 改めて皆さんに御礼を申し上げます。 ありがとうございました。


記念写真でピース(満理子の母親も一緒に)

*写真の掲載について、山脇学園校長より快諾をいただきました。ここにお礼を申し上げます。 M

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