夢叶う 「大阪大冒険」



1.きっかけと準備
2.いざ、大阪へ
3.オフ会決行
4.付近探索
5.同窓会
6.後ろ髪を引かれながら
7.最後に ・・・・・・・_______
1)高速道路のバリアフリー
2)感謝________


4.付近探索

昨日のオフ会は中途半端な終わり方の上、たこ焼パーティーにも参加できず欲求不満の夜を酒で誤魔化しながら休みました。
少し頭痛が残る朝を迎え、すっきりさせるために朝風呂へ入り、またビール。 うーん、格別です。

多少雲は残っていますが、台風は行ってしまったようです。 ニュースによると名古屋辺りにいて、その後関東に直撃になりそうでした。
今日の予定は、夕方に同窓会が有るのですが、それまでは未定でした。 午後に従兄弟や友人夫婦が来る予定なので、午前中は舞洲あたりの新しい大阪を見学してみようと思いました。
娘は明日仕事なので、今日一足先に新幹線で帰るつもりで指定席を買ってあったのですが、新幹線の運行状況が悪くあきらめさせました。
なので、子供達は姉の子供達の案内で、「ユニバーサルスタディオジャパン」に行くことになりました。 これも台風のおかげです。
子供達は開演から閉園までたっぷりとUSJを堪能してきたようです。 お土産も両手いっぱい買ってきました。

さて、年寄り組はというと、だらだらとどこへ行こうかと相談していました。 このあたりは、オリンピック開催を想定して整備されているところで、近代的な建物や施設が建設中です。 オリンピックが没になったことで建設が遅れたり、中止になっているところも多く、不自然な景色になっています。 その中で、咲島という所にWTCという大阪で一番高いビルが有り、そのそばに海の時空館という博物館もあるので行ってみようということになりました。
海の時空館は海上交通で栄えた大阪の歴史を紹介するところで、江戸時代の大阪の町並みや当時舟を利用していた商人の生活を模型や絵で展示して説明をしています。 また、当時の様子を寸劇で紹介するコーナーも有り、漫才を見ているようで面白かったです

1時間ほどで時空館を後にして、舞洲に戻り、昼食を摂りました。
1時過ぎに従兄弟のやっちゃん夫婦が生まれたばかりの赤ちゃんを連れてアミティ舞洲に来てくれました。 やっちゃんとは4年ぶりくらいかな? 結婚して子供もできたのです。 結婚式に出られなくて残念な思いをしたのです。 奥さんとは始めてで(メールでは時々話していたが)、赤ちゃんは当然初めてです。 なんだか、孫のようです。
続いて、高校の同級で親友のカオル夫婦と同じく文博も来てくれました。 カオルとは20年ぶりかなあ。 カオルのヨメさんとは30年ぶりかも。 皆で部屋に戻り、わいわいしゃべっているところへ、同じく親友の上山も部屋に来ました。 昔話に花が咲いて楽しい一時でした。
やっちゃんが途中で帰り、入れ替わりに、ホッケー部の仲間の藤原も部屋に来ました。 じゃあ、ちょっと早いけどバーベキューを始める準備をしようかということになり、彼らは一足先に同じ舞洲の中に有るオートキャンプ場に行きました。

カオルのヨメはん、ジャリ婆チエちゃん

 

5.同窓会

少し、遅れて会場に行くと、ほぼ全員集まっていました。 予定通りなら、オフ会の日の夜にやるつもりだったのですが台風のために1日遅らせたのです。そのために来れなくなった奴もいるけど、10人ほど来てくれました。
炭に火をおこし、準備が整いつつあります。 魚屋のユージが保冷車で新鮮な海の幸をいっぱい提供してくれました。 海老と帆立、サザエがうまかったなあ。
そこでも、当然昔話が中心です。 今日集まった仲間は当時の不良グループなので話題が恐ろしい! 子供達がこの場にいなくて良かったとつくづく思いました。 でも、みんな、いい奴ばっかりです。 30年たった今でも当時のままです。
今回参加できなかった木下と梶本から電話があり、会えなかったけど声を聞くことができました。 また、埼玉にいる直樹とも話す事ができ、当時の仲間ほとんどと話をすることができました。 
最近、このメンバーの何人かは毎月同窓会をやっているそうです。 遠くにいる私には羨ましい話です。 でも、何年経っても友達であるということが、今回の帰郷で確認されただけでもうれしいことでした。
今回幹事をしてくれたカオルホンマにおおきに。 それに30年ぶりの交流のきっかけを作ってくれた耕一、おまえからの「今週集まるから、おまえも来いよ」 という、突然の電話からやったよね。 忙しいのにわざわざ集まってくれた文博、上山、尾松、米田、藤原、ユージ、高草、甚野ホンマにおおきに。 高校時代に戻れた一時、楽しかったでー。 また、帰ってくるからな。

(集合写真は液晶ファインダーが真っ暗だったため的が外れてしまいました。 良い写真が手に入ったら差し替えます)

 

6.後ろ髪を引かれながら

20日に取手を出発し、21日には台風をものともせずオフ会が決行され、22日は台風の影響のおかげで娘は帰宅をあきらめて子供達全員でUSJを楽しみ、大人達は周辺探索と同窓会で若返り、いっぱい元気をもらったり思い出を作りました。
今回の帰阪は試験ケースということもあり、たった2日の滞在予定でした。時間が無くて殆ど島から出ず、実家にもオヤジのお参りにも行けなかったのです。 満理子の状態もよく、泊まったところも快適だったので、もっと長く滞在して、大阪を満喫したかった。

23日の朝を迎え、いよいよ取手に帰る日になってしまいました。 例によって、朝風呂に入ったあと、朝ビールを飲みながら少し感傷的になってしまいます。
今度、いつ帰れるかわからないので、年老いた母を置いて帰るのは忍びないです。 私がいなくても、姉家族や母を世話してくれているHさんがいるので何不自由なく暮らせて安心なんですが、やっぱり寂しいです。 電話で話しをしても温かい言葉をかけられず、不本意な思いをしているので、行動で親孝行したいのですが、できなくて口惜しい思いです。 白々しい会話をしなくてもお互い分かり合えるのが親子のいいところだと思い諦めるようにしています。
最初から、たった、2日で母や姉といっぱいある積もる話をできるわけが無いのはわかっていたのですが、やっぱり心残りです。


10時頃にアミティ舞洲を後にしました。 帰る途中に、どうしても私が生まれた家とその周辺を見たくて寄り道することにしました。 30年ぶりでしょうか。 道がわからないので姉のクルマに先導してもらって目的地に到着しました。 生家は健在で面影は有りましたが、両隣は建て替えられ、家の前には小学校ができていました。 随分変わっていましたが、ふらふらと周りを歩くと、懐かしい看板や診療所、表札の名前が見つかり子供の頃の景色がよみがえってきました。 家の前で野球をしたり、無花果の実を盗みに行ったり、犬の散歩をしたり・・・その家は、大学入学時まで住んでいたのですが、訳あって引越しせざるを得なくなったのです。

しばらく郷愁に浸り、いよいよお別れです。 母、姉夫婦、Hさんにお礼と別れの挨拶とまた帰ってくることを約束して大阪を後にしました。

さて、帰路につきました。 近畿自動車道の鳥飼から高速道路に乗り、吹田から名神高速に入りました。大阪と京都の県境から混み出しました。 大津サービスエリアに入り、昼食とオムツ交換をするつもりでしたが、大変な混雑振りと暑さで、車椅子での往来は疲れてしまいます。 レストランなどの施設も階段が多く、スロープはあるものの、場所がわかりにくい端っこの方に有り、かなり車椅子使用者には利用しにくいところでした。 昼食は諦めて、たこ焼を買って、空腹を誤魔化し、満理子の処理も我慢してもらって、給油だけして早々と出発しました。
ここからは、比較的快適なドライブになり、浜名湖まで走ることにしました。 連日の深酒で快適なドライブは非常に眠い!! できるだけ、子供達としゃべって、誤魔化していましたが、子供達も疲れていて何時の間にか眠っていました。 飴を舐めたり、歌ったりして何とか、浜名湖までたどり着きました。

浜名湖サービスエリア


浜名湖サービスエリアで満理子の処置をしなければいません。 行きと同様にインフォメーションセンターへ行き、ベッドのことをお願いしたところ、ここには障害者用トイレの中にベッドが有るから、そこを使って欲しいといわれ案内されました。 中を見ると何とか使えそうなのでやってみることにしました。
少し狭いけど、何とか3人がかりでベッドに移動し、オムツ交換をしました。 ベッドが固くてとても長く横になっていられないのと、この酷暑の中冷房の無い狭い空間での作業で参ってしまいます。 手早く(いい加減に)作業を終え、すぐにトイレを出ました。
あまり、お腹も空いていなかったので、飲み物をのみ少し休憩しただけで、給油後すぐ出発しました。

眠気も納まり、早く家に着きたいので、一気に走るつもりでした。 途中、海老名でトイレ休憩をし、首都高に入りました。 首都高はかなり混んでいて、ずっとのろのろ運転です。 その上、鎌形で事故が有りその影響も有って、かなり時間を食ってしまいました。 首都高を抜け、常磐道にのって、谷和原インターを下りたのは9時半頃でした。 そこから家まで20分です。 コンビニで弁当を買い、家に着いたのは10時でした。

たった、4日間だけど、長い長い夢のような冒険を終え、無事家に到着してほっとしました。
とりあえず、遅い晩飯を食って、今日は寝ます。 娘は帰ってすぐに明日に出張の用意をすると言って、会社に行きました。 若いねえ。

 

7.最後に

1)高速道路のバリアフリー

高速道路を利用して帰ることに決め、いろんな方から情報をいただきました。
日本道路公団にウチの状況を伝えて、情報を求めたところ、ハイウェイ交流センターさんから非常に親切な回答をいただき、前述のところのベッドが利用できるということがわかりました。
おかげで、途中で横になることができ、おむつを交換できたので、思ったよりも満理子に負担はかからなかったと思います。

但し、インフォメーションセンター内に有るベッドが背の低いソファベッドだったので、車椅子からの移動が困難だったこと。 海老名では通路が狭く、車椅子ではベッドの有るところまで行けなかったこと。 など、問題点、改良点が有りました。
また、浜名湖の障害者用トイレはせっかくの設備なのですが、内部のデザインが公衆便所的で居心地が悪く、空調が無いので処置に時間がかかる体調の悪い人には危険が有るかも知れません。 また、クローゼットが一つしかないので、利用者が重なるとどうしても待ち時間が長くなり辛い思いをします。
ベッドも狭くて、固く、体の向きを変えるのが困難で痛くなります。

今回、尿処理で利用したのは3個所で、他のところのことはわかりませんが、以上のような不満点が有ったことを報告し、改善されることを期待します。

ここで、一つ断っておきますが、応対していただいた職員の方達は、多分初めての対応でびっくりされたようですが皆さんとても親切にしていただき、汗を流してくださいました。 この経験を生かして、今後に役立てて欲しいと思います。

次に、障害者用のパーキングスペースについてですが、混雑しているところでも、吹田SA(前述)以外は空いていました。
但し、駐車可能台数が2〜4台でちょっと少ないです。
また、1台当りのスペースが巾には余裕が有りますが前後の余裕が無く、リフト車やウチのようなスロープを使う場合、前にはみ出した状態で車椅子を降ろした後、駐車し直さなければ行けません。
パーキングスペースには必ず屋根が設置されていて、小雨程度なら濡れずに施設まで行けます。 横からの雨には役に立たないけど、それはしょうがないでしょう。

2)感謝

今回、大阪旅行するにあたって、 きっかけ、勇気をくれたネットの仲間に感謝します。

準備段階でクルマ椅子購入と改造、情報収集に骨を折っていただいき、熱心なリハビリ訓練をしてくださった会田記念病院の中尾先生に感謝します。
それに、満理子が大阪まで行けるくらいに回復できたのは、主治医の鶴岡先生、訪問看護ステーションの看護婦さん、デイサービスでお世話になっている[ふれあいの郷」[あけぼの]のスタッフの皆さん、音楽療法の尾形先生、オリエンタル鍼灸院の高野、草間両先生、いつも話し相手をしてくれる大塚さん、皆さんのおかげです。 本当にありがとうございました。

大阪へ帰る大きな目的のひとつを作ってくれた、大阪星光学院の仲間、楽しかったよ。ありがとう。

そして、遠くから見守ってくれている、姉にもお礼を言います。

最後に、健在でいてくれる母がいるから大阪に帰るんです。 母がいなくなったら帰る意味が半減するので長生きしてもらわないと困るんです。 たのんまっせ。

1.きっかけと準備
2.いざ、大阪へ
3.オフ会決行
4.付近探索
5.同窓会
6.後ろ髪を引かれながら
7.最後に ・・・・・・・_______
1)高速道路のバリアフリー
2)感謝________

 

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