夢叶う 「大阪大冒険」



1.きっかけと準備
2.いざ、大阪へ
3.オフ会決行
4.付近探索
5.同窓会
6.後ろ髪を引かれながら
7.最後に ・・・・・・・_______
1)高速道路のバリアフリー
2)感謝________


1.きっかけと準備

 平成6年に満理子がクモ膜下出血で倒れ、大きな障害を持ってから6年経ち、満理子の症状も安定し、私の精神状態も落ち着き、介護生活にも慣れてきて、今までの経過や経験をまとめるためにホームページを作りました。
 その結果、同じように介護していたり障害と戦っている人たちと交流が始まり、励ましあったり、愚痴ったりすることで、今まで貯まっていたものが吹っ切れたような気がしました。
 その方達の中に、大阪にお住まいの
母さんクロちゃんがいました。 同郷のよしみで特にクロちゃんはグランドホッケーをやっていたという共通点もあることで親しくさせてもらいました。 掲示板やメールで話し合っているうちに大阪へ行ってみようかという冗談が出ていました。  でも、その時は、現実にはとても無理なことだと思っていたのです。
 退院して、一泊で近い所への旅行は何度かしていたのですが、車椅子には2〜3時間座っているとお尻が痛くなってしまうのでした。 大阪まで軽く10時間はかかるし、満理子の意識レベルや体力にも若干危惧もありました。

平成12年から始まった訪問リハビリや音楽療法、デイサービスによって意識レベルが急に良くなり満理子の楽しみも増えました。 訪問リハのOTの先生が車椅子のシーティングに詳しく、先生の勧めで新しい車椅子を注文することにしました。 最終的に決めた機種はノルウェー製のNetti3でした。車椅子上で生活することを前提にしたものなので長時間の使用でもお尻が痛くならない期待が持てました。
そこから、大阪行きの計画が現実的に始まったのです
その頃、ネットフレンドがオフ会を開きその報告を聞いて羨ましく思っていました。 また、大阪出身の
ゆうこさんや島根のみっちょマンが車椅子で一人で旅行を決行したことも勇気を与えてくれました。

もし、車椅子の長時間使用が可能でも、他に問題点は山積みでした。
まず、尿処理の問題が深刻でした。 満理子は尿意が無いのでオムツを使用しています。 長旅だと途中での尿処理の必要があります。 まず、採尿器の使用を考え、OTの先生にも手伝っていただき、いろんな機種を調べて見ましたが、女性用の有効な機種がありません。 女性の肉体的構造上、漏れない様に採尿できるものはありませんでした。(男性用は良いものがたくさんあります) といわけで、今度は車椅子上でオムツを替える工夫をする事にしました。 どちらにしても狭いスペースで無理な姿勢で作業する必要があるので、その対策として
前あきのスカートを特注し、腰を浮かせるための介護ベルトを購入しました。 実際に使ってみると何とかできそうです。

次に、交通機関です。 何で大阪まで行くか。 考えられるのは、新幹線、飛行機、自動車の3手段です。
新幹線はゆうこさんが帰阪した時の母さん情報で多目的室の存在がわかり、有力候補としたのですが、東京⇔大阪の新幹線はいいのですが、東京駅までと大阪にいる間の移動手段に問題があり断念しました。
飛行機は時間的に一番有効なので、利用したかったのですが、やはり大阪にいる間の問題と、機上では専用の車椅子に乗り換えないといけないのでやはりあきらめました。

やっぱり、しんどいけど自分の運転で自動車で行くしかありません。
自動車で行くための準備として、10時間に及ぶ移動に満理子が耐えられるかと途中のオムツ交換でした。
オムツ交換は日本道路公団に問い合わせた所、インフォメーションセンターのあるサービスエリアにはベッドがありそこで交換できるということがわかりました。
10時間座り続けられるかは、一度練習して確認することにしました。
その頃に、やはり親しくしていただいている市原在住の
「かゆちゃんち」のお母さんと市原オフ会を開こうという話が出て、ちょうどよい機会だと思い、出席しました。 その結果、朝10時〜夜の9時までほとんど車椅子に座りっぱなしで、その上往復4時間の自動車移動にも耐えられ大きな問題はありませんでした。
この市原オフ会で、大きな自信をつけたとともに、オフ会で仲間と実際にあって話し合うことの楽しさがわかり、大阪へ行く決心がつきました

準備には車椅子の調達から、スカートの製作、市原オフ会参加、情報収集、心構えで半年以上かかりました。
この間、ネット上でいろんな方から情報を教えていただき、また多くの励ましをいただき、本当にありがとうございました。 改めてお礼を申し上げます。

 

2.いざ大阪へ

いよいよ、平成13年8月20日、出発の日になりました。 その日は、2年ぶりに超大型台風が関西地方に迫っていました。 幸い、朝、起きたらよい天気なので、早めに出発して台風の影響を受けないようにしようと思い、9時に出発としました。 旅行に行く時はいつもやるように、家中にバルサンをたいて鍵をかけました。
満理子と裕子(長女)と陽一(長男)を乗せて、珍道中のスタートです。

常磐高速の谷和原インターまで20分、そこから首都高速を経て、東名用賀まで行きます。 首都高速は込んでいて、結局用賀に着いたのは11時頃でした。
東名高速に入って、やっと旅に出たという感じになりました。 途中、どこで休憩するかは前もって道路公団に問い合わせて教えてもらったサービスエリアに状況を見て適当な所に入るつもりでした。

財団法人ハイウェイ交流センター・広報・サービス室さんが教えてくれたインフォメーションセンタのあるサービスエリアは次の所です。

    インフォメーション開設時間
常磐道 守 谷SA 7:00〜22:00
東名道 海老名SA 7:00〜22:00
足 柄SA 9:00〜17:00(平日)
8:00〜17:00(土日祝)
富士川SA 8:00〜18:00
牧之原SA 8:00〜18:00
浜名湖SA 9:00〜18:00(平日)
9:00〜19:00(土日祝)
上 郷SA 9:00〜17:00(平日)
8:00〜17:00(土日祝)

気分を一新するために、最初の海老名で昼食と給油、そしてオムツ交換をしました。
早速、インフォメーションセンターに行き事情を説明し、ベッドを借りたい旨をお願いしたところ、快く応対してくれたものの、ベッドのあるところまでの通路は狭く、途中に冷蔵庫がありベッドの所まで車椅子ではとても行けません。 それで、施設建屋をぐるっと迂回し、裏口から入ることにしました。その通路もかなり狭く、自走ではたぶん無理でしょう。 やっとのこと、ベッドまでたどり着きましたが、そこもかなり狭く、荷物なども置いてあり車椅子を回転させるスペースはありません。 ベッドもソファーベッドなので、ちょっと移動が大変です。 子供達と3人がかりで、えいやっと持ち上げて移動しました。 なんとか、オムツを交換し終え、また苦労して戻りました。少しの間でしたが満理子にとっては横になれた事でずいぶん楽になったと思います。
きっと、ここでは車椅子の利用は初めてで、そのような利用者が実際にあるとは思わなかったのでしょう。
但し、職員の方達は必死で親切に対応してくれ、汗を流してくれました。

今度、利用する時はきっと冷蔵庫も他の場所に移動され使いやすくなっていると思います。
その後、昼食を摂り給油後、気を引き締めて海老名を後にしました。

天気もよく、絶好のドライブ日よりです。 交通量も比較的空いていて順調でした。
次の休憩は時間的に上郷に決めました。 上郷には4時頃の到着です。
車を福祉車両用のスペースに止め、インフォメーションセンターへ行き、同様のお願いをしました。
やはり、ここでも係の人は戸惑いの表情を見せましたが、快く対応してくれました。
ここでは、広い事務室のような所にあるソファっベッドを使います。 カーテンも設置されていて使い勝手はよかったです。 但し、やはりベッドの高さが低く移動は3人がかりでえいやっでした。

上郷サービスエリア
パーキングスペース ベッドのある部屋 ドリンクタイム(大きな赤ちゃん)

上郷で少し休憩をし、水分を補給し30分ほどで出発しました。

ここからは、大阪まで一気に行くつもりでした。 しかし、栗東あたりから混み出し、かなり時間がかかり到着が遅くなりそうです。 高速を降りてから夕食にするつもりでしたが、早く宿泊所に行き、ゆっくりしたいと思ったので吹田サービスエリアで弁当を買いました。 ここでも福祉車両用のスペースに止めようと思ったら先客がいたので別の所へとめました。 そのスペースには2台止まっていて、その後ろでシートを広げて弁当を食べている集団がいました。 お遍路さんの装束の団体で、障害者ではありません。 迷惑駐車であることを注意すると謝罪されましたが、そのようなお参りだとご利益は無いでしょうね。

午後9時半頃に目的の
アミティ舞洲に無事到着。 落ち着いたところで遅い夕食を摂り、床に着きました。

アミティ舞洲は大阪市立障害者スポーツセンターということで、障害者にとっては至れり尽せりの設備です。
建物は完全バリアフリーで、障害者対応室にはギャッジベッドがあり、天井走行リフトも設置されており、移動やトイレ、入浴もできます。 また、大浴場には入浴用リフトも設置されていて、大きなお風呂で皆と心地よい入浴も楽しめます。 大きなウレタンマットもあり、そこに横になって体を洗ってもらっている人もいました。

アミティ舞洲の部屋
ベッドに入って遅い夕食 リフトで車椅子に移動

 トイレ内部 

部屋の窓からの眺め(台風接近時の大阪舞洲)

 

3.オフ会決行

平成13年8月21日、オフ会当日となりました。
昨夜、大阪に着き、すぐに母さんちに電話したところ、台風が大阪に直撃しそうな雰囲気だから明日はどうなるか分からんねえ、と話し合ってたんです。
朝、5時半に起き、窓の外を見ると、どんよりした鉛色の空です。(上の写真) ニュースを聞いても、あまり期待できないような雰囲気でした。
まあ、心配してもしようがないので、朝風呂に入って、ビールをいっぱい。 旅行先での一番の楽しみです。

ビールを飲みながら、大阪に居ることを実感し、ここに至るまでのことを少し考えてみました。 大阪に帰ることを決め、今日ここに泊まることを6月に予約して、後にひけない状態にしてしまいました。 その旨、母さんに連絡をすると、その頃にみんな集まろうということになり、オフ会が決まったのです。 市原のオフ会でお会いした勇ちゃんもそれに合わせて帰阪することになり、盛り上がってきました。
勇ちゃんも、大阪出身で奥さんを介護されているということで、その頃から親しくしていただいていました。
私は8年ぶり、勇ちゃんは何と30年ぶりだそうです。

朝食を済ませて、母さんちに電話をしました。 この調子だと、遠くから来られる方もいて、集まりが悪く中止の覚悟をしていました。ところが、来られる可能性のある方は根性で来るから開催しようということでした。 「やったー」と思いましたね。
大阪に居る私の母や姉一家が今日から同じところに泊まってくれることになっており、オフ会にも出席する予定だったので、慌てて電話をして、早く用意をして来るように言いました。

オフ会の会場は、満理子の移動のことを考えて母さんの心使いで、私たちが泊まっているアミティ舞洲の研修室で行われます。
10時半に3階の会場へ行くと、部屋の前に仰々しい看板が貼られていました。 ナントも恥ずかしく、恐れ多いタイトルでした。
ドアを開け、中を覗くと、あの母さんが居ました!! やっと、会えたのです。 憧れの母さんと会え、感動の抱擁!!とは、いかずやはりオフ会というのは、初対面でも毎日会っている隣のおばちゃんのような感じなので、軽い挨拶になってしまいました。

あいさつもそこそこに、準備をしていると、ぼちぼちと他の方達が集まってきました。
その頃、台風は我々のパワーに恐れをなしたのか、紀伊半島沖で足踏みをし、進路を東に変えようとしていました。
ほぼ全員揃った12時頃に母さんの音頭でいよいよオフ会が始まりました。 まず、自己紹介からです。 例によってこのようなオフ会はネット上でのお付き合いはあっても初対面の方が多く、
顔と名前が一致しません。 しかし、大体は掲示板などでお人柄がわかっているので、予想通りのことが多いです。
自己紹介は、このオフ会のきっかけになってしまった私からです。 人前でしゃべるのは苦手なので、気の効いたことが言えません。 しらける前に次の人にバトンタッチですが、さだぼん一族が続いてしまいました。

息子、娘、姪っ子たち 母と母の介護者Hさん

全員が自己紹介を終え、最後にクロちゃんが私との交流のきっかけなどを紹介していただき、いよいよ乾杯です。
今回のオフ会で、一番遠方から参加された(ナンと山形)ねこ。。。さんの乾杯で宴が始まりました。 最初の間少し話し合うきっかけが無く静かにスタートしましたが、すぐに初対面とは言え共通の話題がいっぱいあることからにぎやかになりました。 改めて、挨拶を交わしたり、再会を喜んだり、あちこちで嬌声が聞こえます。
満理子は、自分で食事を摂れないので食べさせてやらなければいけません。 でも、食べさせていると、皆さんとしゃべれないので、食事介助を姉に任せ、早速、母さん、クロチャン、勇ちゃんのそばにビールを持っていきました。
勇ちゃんとは市原以来の再会です。 母さん、クロちゃんとは初対面ですが、何度も書いていますが、旧知のごとく何の抵抗も無く会話にはいれます。 人見知りする方でも、ほとんどがそんな感じで会に溶け込めるのもオフ会の良いところです。
1時間ほど経った頃、広島から参加のkyokoさんが到着しました。 今回、台風のためやむを得ず参加できなかった方たちを除いて全員顔をそろえました。 kyokoさんも市原でご一緒したので再会を喜びました。
ワイワイ、ガヤガヤと佳境に入ってきた頃に、台風が接近し、警報が出、急遽お開きとしなければいけなくなりました。
会場の舞洲は人工島で島への出入りは橋を渡らなければいけません。 風が強くなると通行止めになり帰れなくなってしまいます。 その前に島を出るように施設からの指示が出てしまったのです。

せっかく、これから楽しもうと思っていたのに、非常に残念なことになってしまいました。
何人かの方とは挨拶程度はできたのですが、会話もほとんど無く、挨拶すらできなかった方もいました。
思ったことの10%も話しができず、非常に心残りですが仕方ありません。 市原の時もそうでしたが、物足らなくて後ろ髪を引かれながらの解散でした。 だから、ぜひ、叉オフ会をやりたい、再会したいという気持ちになるんでしょうね。
大急ぎで、帰る準備をし、施設のバスとSENSさんのエスティマ、翔くんのオデッセイ君に分乗した皆さんを名残を惜しみながら見送ることになりました。

その後、母さんちでたこ焼2次会をすると言うので、私も参加するつもりでしたが、台風の動きがはっきりせず、満理子のところに帰れなくなったら困るので、断念しました。 台風のおかげで残念な結果になりましたが、幸い中止にならず、変わったお開きを経験し、思い出深いものになったことも確かです。

今回の帰阪のきっかけを作っていただき、段取りをしていただいた母さんとクロチャンには感謝の言葉もありません。 これに懲りず叉お世話になりたいと思いますので、ここにお願いしておきます。
遠路はるばる、悪天候の中来られた皆さんのおかげで、とても有意義な帰郷になったことに深くお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
 満理子にも暖かいお言葉をいっぱいかけていただきました。満理子に代わりましてお礼申し上げます。

尚、母さんのオフ会報告がアップされていて、参加された方のリンクも張られています。

楽しかったオフ会終わり

1.きっかけと準備
2.いざ、大阪へ
3.オフ会決行
4.付近探索
5.同窓会
6.後ろ髪を引かれながら
7.最後に ・・・・・・・_______
1)高速道路のバリアフリー
2)感謝________

 

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