10度目の入院

令和3年11月

 平成6年のクモ膜下出血による入院から10度目の入院でした。10回のうち今回を含めて6回が尿路結石による腎盂腎炎になったものです。そして、そのうちの5回が腎盂腎炎から毒素が体中に周り敗血症になったのです。敗血症からショック症状に陥り呼吸困難になり救急搬送してもらって命も危うい状況だったのです。どうして、そんなになるまでわからなかったのかというと、満理子の高次脳機能障害で尿路結石による痛みを訴えられない上に表情も極限になる直前まで変わらなかったからです。

 今回の腎盂腎炎での入院は多くの幸運が重なり、敗血症にまで至らなくて2週間で退院できました。その経過は11月14日に突然震えがあり急激な熱発になりました。すぐに近所のかかりつけ医に抗生剤を処方してもらったら、症状が収まりました。その二日後に3ヶ月毎の脳外科定期外来の日で通院しました。若干の微熱があったので病院入口でその旨を申告したら、コロナ感染予防のために発熱外来を受診することになりました。その問診で、今まで経験上発熱の際は腎臓の炎症があることを告げました。すると、腎臓内科のドクターが早速C/Tと採血、採尿のオーダーをしてくれたのです。 微熱で満理子は全く普通の表情だったので異例の対応でした。

 検査の結果、激しい炎症反応と尿路に石があるのが発見され、すぐに泌尿器科に移されました。泌尿器科のドクターの診察ではかなり重症ですぐにでも対処しないと命の危険も考えられるという説明でびっくりしました。そんな重症なのに満理子はニコニコしてます。
 今後の治療計画の説明がありました。 まず、腎臓までステント(ストロー状の管)を尿路から腎臓まで挿入し尿が出るようにする。そして炎症、感染を抑えるために抗生剤投与で治療がうまく行けば2週間程度の入院になるということで、必要な承諾書にサインし入院手続きをしました。

  

 その日の18時ころに手術室に入り、ステント設置術をしました。30分ほどで終えて病室に戻りました。 術後の先生の説明でステントを入れた途端に大量の膿が出てきたそうです。最悪その膿がいたずらして敗血症になることもあり、死に至ることもあるそうで、その際の延命治療の判断を求められました。2日くらいでその山を抜けたら、あとは薬が効いてくるでしょうとのことでした。そしてコロナ禍で検査結果が出ていないのでコロナ感染病棟に入院したのです。本来面会はできないのですが満理子の顔を見たいと言ったら特別に面会させてもらいました。しかし、コロナ感染病棟ゆえにテレビで見た防護服をまとっての面会になったのです。満理子は私のその姿を見て「何やってんの?」だって!

 その後はコロナ禍による面会謝絶なので退院まで待つのみでした。いつもの入院ならほぼつきっきりで食事介助やおむつ交換、清拭、着替え、スキンケア、口腔ケアなど介護はすべて自分でやってましたが今回はすべておまかせになります。 満理子の介護はそんなに簡単ではないので、他人の介護のとき(入院、ショートステイなど)は「満理子の介護マニュアル」を預けて参考にしてもらいます。今回も当然預けました。どの程度、実行されるか知る限りではありません。そんな心配もあり、入院中は面会できないけど毎日ナースステーションを訪ねて満理子の様子やバイタルの変化を聞きに行きました。この行為は入院時には大切なことで、家族が熱心だと丁重に扱ってくれることを経験的に知っていました。11月23日は結婚記念日なので満理子の好きなモンブランを買って、看護師さんに預けて食べさせてもらったのです。

  

 ドクターの計画通りに、2週間で症状は改善し、点滴をやめて服薬に変えるので退院許可が出ました。先生が満理子に退院できることを伝えると「まだ、退院したくない」と応えたそうです。先生から電話があり奥さんの希望があるけど退院するか聞かれたけど、もちろん退院を希望しました。

 



 コロナ禍の特別な時期の入院で心配はありましたが、病院の敏速な対応と防護服を着る貴重な体験ができた入院になりました。まだ、尿路に石が残ったままの退院だったので、年明けに再度入院して内視鏡で石の除去をする予定です。
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