結婚35周年

平成27年11月23日

 35年前の今日、満理子と結婚式を挙げました。 そして平成7年9月22日に満理子はクモ膜下出血を発症したのです。 結婚35周年と介護生活20年に当たるこの年に一つの区切りのために食事会を企画しました。

 結婚35周年記念を口実にし、この20年間我が家を支えてくださった方たちを招待してお礼を言いたかったのです。 無理を承知で遠くの方たちにも声をかけました。当日、来てくださったのは13人です。 皆さん、忙しい人達ばかりですが、都合をつけてきてくれました。

 会場の「伊太利庵 ボーノ」で12時から宴?の始まりです。 ちょこっとご挨拶させてもらい、まずはそめさんに乾杯の音頭をお願いしました。 それから、飲みながら、食べながら、今回の趣旨をお話し、来てくださった方たちをエピソードを交えて感謝を込めて紹介しました。

 この20年間、とても多くの方たちに助けてもらい、なんとか第2の人生を見出して今に至ります。 具体的にここで簡単に経緯と感謝の気持ちをまとめます。

1.平成7年9月22日  クモ膜下出血を発症し、取手協同病院(現JAとりで総合医療センター)に救急搬送されました。入院して半年後に主治医の鶴岡先生(現副院長)に執刀していただき、命を救ってもらいました。 それから平成9年3月に退院するまで、鶴岡先生始め病棟の看護師さんには看護だけではなくいろんなフォローをしてもらいました。 
退院後も重篤な病気になり6回ほど命を救ってもらいました。 その度に病棟の看護師さんたちは満理子に献身的な看護と対応をしてくれたのです。
 そして、忘れてはならないのは、付き添い家族の先輩たちです。いろんなことを教えられました。 在宅介護に踏みきれたのはその方たちのお陰です。 この入院時代にお世話になった戦友たちに感謝です。
 そして、その間鷹揚に見守ってくれた、電力中央研究所の研究員や一緒に実験していたチームの方たちに感謝です。

2.退院後は突然の在宅介護になり、全く知識がない状況で引きこもり状態になりました。 当時の満理子は表情もなく自分から話すことは皆無だったのです。 その症状の理解もなくただ満理子を見守るだけだったのです。 そんな中、パソコンを買ってホームページ(まりこの車いす)を作ったのをきっかけに同様の気持ちを持った方たちと交流が広がり、オフ会を開催するまでになったのです。 その交流で、在宅介護や障害について情報交換をすることで知識を得るだけでなく、外へ目を向けることになったのです。 今でも、その頃のネットの友達とは深い交流があります。

3.協同病院の婦長さんに勧められて、今も利用している「あけぼの」に通うことになりました。 ここは取手社協が市から委託運営している障害者センターです。 そこで、そめさんと知り合い、障害の世界のことを教えてもらいました。 そして、NPO法人活きるを二人で立ち上げて障害者支援活動を始めたのです。 仕事をやめて将来を見失っていた私に新たな人生目標ができたのです。 そして、「あけぼの」のスタッフの方たちには公私にかかわらず満理子の支援をしてくださいました。
 また、介護保険制度が始まっていろんなサービスを利用することになったのです。介護保険を利用するにあたりケアマネさんには大変お世話になっています。 今、関わってくださっている方には精神的な支えにもなってもらっています。

4.NPO法人活きるを設立して今年で11年目です。 最初は全く知識もなく勢いで活動を始めたので、なんとなくピアカウンセリング的なことから始めました。その後、移動支援のための有償福祉運送を展開したり、就労支援目的で水産品やユニバーサル食器の販売を手がけました。設立時から活動をともにした多くのボランティアさんには活動だけでなく満理子の支援もいっぱいしてもらったのです。 今は、少し活動を整理して移動サービスが主活動になっていますが、本来の目的の障害者支援もいろんな手段で継続しています。 活きるのメンバーには本当に助けられました。

5.今はNPO法人活きるの活動が比較的安定し、気持ちにも余裕が出てきました。 新たな活動目標はありますが、障害者支援についてはとりで障害者協働支援ネットワークの中で就労支援や障害者の防災、地域の障害福祉政策に携わっています。 このような機会を作ってくれ、新たな生きがいを作ってくれたネットワークに感謝しています。

6.SNSを利用するようになって福祉以外の交際範囲が非常に広がりました。 若い人たちとの接触も多くなり、楽しい時間が増え、満理子の脳への刺激がたくさんあって意識レベルの向上には眼を見張るものがあります。そんな中、満理子の小学校の同級生との交流が52年ぶりに復活し、これがまた満理子にとって回帰法の効果があるのか、とても良い影響が出ています。

 今までのこのような関係、交流が広がったのはすべて満理子が作ってくれたものです。大きな後遺障害や職を離れた不運はありましたが、今はそれ以上の宝物を得られたと思っています。

 医療、行政、福祉/介護関係、ボランティアさんたちなど数えきれない多くの方たちの助けで今の我が家があります。
 一人ひとりにお礼を言いたいのですが、この場をお借りして深く感謝の気持ちを伝えたいと思います。
 今まで、本当にありがとうございました。 そして、これからもお世話に成りますので、よろしくお願いいたします。


結婚式

披露宴

松浦さんから送っていただいた詩

inserted by FC2 system