間もなく卒業

平成18年3月17日

 満理子が発病したのは、平成6年9月22日でした。 その時、息子は小学校5年生でした。 その息子がもうすぐ大学を卒業することになりました。 あれから、11年半経ったのです。 4月には社会人になり巣立つことも決まっております。 
 息子とは入院中はほぼ毎日病院で、退院してからも普通の家庭の父と子よりは一緒に居る時間がかなり多かったでしょう。 
 満理子が重度の高次脳機能障害になっていることもあり、最大の理解者、相談相手が居なくなって、息子と話し合う機会も多く、年齢を重ねるごとに父・息子の関係だけでなく、パートナー、よき理解者になっていってくれました。(それは娘も同じです)。 中学、高校を卒業し、大学入試を迎え、経済的なこともあって国立一本に志望校を絞って受験し、見事合格してくれました。 二人で合格発表を見に行き、受験番号を見つけたときは、思わず息子と握手をしました。 今迄の苦労と努力が報われ(息子が・・)、この感激は一生忘れられない場面となりました。
 その息子がその大学を卒業します。 
学校の正門 合格発表があった広場 息子が学んだ学部の校舎前
メインストリート 大学図書館 記念写真
 卒業式には参列しません。私は、そこの大学とは付き合いがあったので何度も行ったことがありますが、満理子は、一度も学校に行ったことがありません。一度は息子が行っていた学校を見せて記憶に残してやろうと思い、満理子の母親も連れて、大学へ行ってきました。
 午前中の雨も上がり、昼過ぎにキャンパスに到着。 風が強いものの、温かい春のキャンパスです。 学内の駐車場に車を止め、まず、キャンパスのメインストリートを歩きました。 学食の前を過ぎ、図書館の前でショット。 正門近くまで来て、息子が学んでいた教養学部の校舎に行きショット。 思ったほど満理子に反応がありません。 大きくなった子供より小さな時の息子が満理子にとって印象深いのかもしれません。 とりあえずは、学校の名前は時々言うことができました。 その後、合格発表があった広場に行き、ショット。 キャンパスを一回りして、息子が駅からの通学に使っていた自転車を満理子と一緒に車の後ろに押し込み、帰路につきました。 帰りの途中、満理子に今どこへ行ったかを聞いた所、「病院!」だって・・・・ せっかく連れて行ったのに・・・・ 
追伸:
 24日は卒業式でした。夜10時ころに、たいした感慨も無く、酔っ払って帰ってきました。
 

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